コラム

2019.05.08

米国から集中砲火を受ける中国の半導体産業 30年前の日本を徹底研究、同じ轍を踏まない「攻囲突破」を模索

中国チップ産業の分析
―中国チップ産業の競争と攻囲突破―
矢野義昭

米中貿易戦争は長期化の様相を見せ始めている。米中両政府は2018年12月の首脳会談で貿易戦争の「休戦」で合意し、米中で交互に閣僚協議を続けてきた。
トランプ大統領は2019年4月上旬の閣僚協議の際、米中が合意できるか「今後4週間で分かる」と発言した。もし閣僚間でまとまれば合意文書の詳細を詰めたうえで、5月中にも首脳会談を開いて署名する可能性があると報じられている(『日経新聞電子版』2019年4月24日)。
しかし、米国が課した追加関税の扱いなどをめぐり、対立点は残っており、米中首脳会談までに溝が埋められるかは微妙な状況にある。
米中貿易戦争の根底には、米中間の覇権争い、特に軍事、民生両面の今後の発展を左右する、最先端通信電子分野をめぐる対立がある。

高まる米国の対中脅威感とその根源となる中国先端通信電子産業への締付け
2018年10月マイク・ペンス米副大統領は、ハドソン研究所で以下の演説を行い、中国に対する事実上の宣戦布告に等しい、脅威認識を披歴している。
「過去17年間、中国のGDPは9倍に成長し、世界で2番目に大きな経済となりました。この成功の大部分は、アメリカの中国への投資によってもたらされました。また、中国共産党は、関税、割当、通貨操作、強制的な技術移転、知的財産の窃盗、外国人投資家にまるでキャンディーのように手渡される産業界の補助金など自由で公正な貿易とは相容れない政策を大量に使ってきました」と、具体例を挙げ、中国の不公正で不当な貿易政策、国内産業補助政策を非難している。
その結果、「中国の行為が米貿易赤字の一因となっており、昨年の対中貿易赤字は3,750億ドルで、世界との貿易赤字の半分近くを占めている」状況になった。
その中国の経済的台頭の背景には、中国共産党の一貫した最先端産業育成策がある。すなわち、「共産党は「メイド・イン・チャイナ(Made in China)2025 」計画を通じて、ロボット工学、バイオテクノロジー、人工知能など世界の最先端産業の90%を支配することを目指しています。中国政府は、21世紀の経済の圧倒的なシェアを占めるために、官僚や企業に対し、米国の経済的リーダーシップの基礎である知的財産を、あらゆる必要な手段を用いて取得するよう指示してきました」。
そのためには中国共産党は手段を選ばなかった。「中国政府は現在、多くの米国企業に対し、中国で事業を行うための対価として、企業秘密を提出することを要求しています。また、米国企業の創造物の所有権を得るために、米国企業の買収を調整し、出資しています」。
その結果は国家安全保障上の脅威をもたらしている。「最悪なことに、中国の安全保障機関が、最先端の軍事計画を含む米国の技術の大規模な窃盗の黒幕です。そして、中国共産党は盗んだ技術を使って大規模に民間技術を軍事技術に転用しています」。
そのようにして得た資金と技術を使い、中国はアジアその他の地域で最大の軍事的脅威になっている。「中国は現在、アジアの他の地域を合わせた軍事費とほぼ同額の資金を投じており、中国は米国の陸、海、空、宇宙における軍事的優位を脅かす能力を第一目標としています。中国は、米国を西太平洋から追い出し、米国が同盟国の援助を受けることをまさしく阻止しようとしています」。
しかし、「彼らは失敗します」とペンス副大統領は断言し、中国の経済的、技術的台頭と、それがもたらす軍事的脅威、覇権拡大を断固阻止するとの姿勢を明確にしている(以上のペンス演説日本語翻訳は『海外ニュース翻訳情報局』(2018年10月9日掲載、2019年1月20日更新https://www.newshonyaku.com/8416/
 as of April 28, 2019による)。
このようなドナルド・トランプ政権の断固とした対中対決姿勢は、最大の同盟国群であるNATO諸国に対しても、国防費増額要求とともに、2019年4月11日のNATO創設70周年においても明示されている。
ペンス副大統領は同大会で演説し、今後数十年の間にNATOが直面する最大の課題として、「中国の台頭」への対応を挙げ、中でも「中国の5G技術の課題」への対応を、「一帯一路の提供資金の課題」とともに列挙し、「我々は解決しなければならない」としている。
以上のトランプ政権による中国台頭阻止政策の最大の眼目が、民生分野の経済・技術競争の死命を制するとともに、最先端の軍事技術の核心技術ともなる、5Gに象徴される最先端通信電子産業であることは明らかである。
すでにファイブアイズと言われる英語圏諸国(米英加豪、ニュージーランド)は、米国政府が主導し、ファーウェイ・テクノロジーズ株式会社(华为技术有限公司: Huawei Technologies Co. Ltd.)が5Gネットワーク構築に協力することを禁止している。ただし、英国は一部のファーウェイ製品を使用することを否定してはいない。
また、「セキュリティ上の理由」から米国政府機関がファーウェイ製品を使用することも禁止したため、ファーウェイはこの決定に異議を申し立てる訴訟を起こした。
また2018年12月には、カナダ当局が米国の要請に応じ、ファーウェイの孟晩舟・副会長兼最高財務責任者(CFO)を、イランに対する制裁措置違反の容疑で拘束し、米国が同CFOの身柄引き渡しを要求するという事件も生じている。

米国の中興通訊(ZTE)制裁に対する中国側の深刻な危機感
2018年8月に陳芳、菫瑞豊編著『中国チップ産業の分析―中国チップ産業の競争と攻囲突破―(陈芳,董瑞丰编著『”芯”想事成: 中国芯片产业的博奕与突围(Deciphering China’s Chips Industry)』北京、人民邮电出版社,2018年8月)という本が出版されている。この本が出された背景には、米国が突然仕掛けた対中経済・技術戦争に対する中国側の深刻な危機感がある。
同書の「前言」に、2018年4月16日に米国商務省が、中興通訊(Zhongxing tongxun: ZTE)に対して、突然制裁命令を宣告したことを冒頭にあげ、これほど、中国の「チップ(芯)」産業が生死をかけた速度を競う場となり、緊迫した時はないと危機感を表明している。
また、米国の狙いは、世界第4位の通信設備製造企業を狙い撃ちして、一撃で打倒しようとすることにあると、非難している。
さらに、ZTEの事件は孤立したものではなく、このような事件は今後も起こるとし、その背景には、中国のチップ(芯)が戦略的な競争の場において唯一最大の重圧がかかっている点だからだと指摘している。そのような観点から、「我々は、幅広くグローバルな視野と歴史の大きなトレンドに立脚して、観察しなければならない」と、本書の目的を明確にしている。
特に、チップ技術は現代の工業化と情報化の社会における基礎をなすものであり、この「首根っこ」となる技術を押さえられるわけにはいかず、自主開発が不可欠であると強調している。
また、以下のような警告も発せられている。
「ZTEの事件以降、中国のネットでは、中国のチップは「夢幻の始まり」と認識し、始めるにはまだ遅くはないが、ひたすら建設に埋没しなければ、米日韓に劣らず発展できるかどうかはわからないとの意見が出ている。
日進月歩の技術進歩がなされ、膨大な工業システムに直面している現在では、一人の「技術英雄」が出ても優位に立つことはできない。過去数十年間で企業の生産条件も組織も深刻な破壊を受けてきた。
産業の発展は科学の法則に背き、その上国際的な技術の封鎖と移転禁止もある。我が国のチップ産業の基盤は分散的であり、手工業的な生産態勢であり、国際的なレベルとの格差を縮めるのは容易ではなく、その格差は正に拡大する趨勢にある。
技術進歩はたちまち覆り、ひとたび後れをとると、たちまち大きく引き離されることになる」。
このように中国の現状認識はきびしく、まだまだ基盤は脆弱で、生産態勢も遅れており、ここで後れをとると、また大きく引き離されるのではないかとの危機感が高まっていると言えよう。

中国側の米国が「科学技術戦」をしかけてきたとの認識
同書の第1章では、米国がなぜZTEを狙い撃ちにしてきたのかという歴史的背景をまず分析し、それが米国の「科学技術戦」の表れであるとの認識を示している。今、巨大な隕石が湖に衝突したときのように、先端科学技術分野における巨大な激浪がひろがろうとしているとの危機感を訴えている。
競争は熾烈で、避けようがなく、優位にあるものはあらゆる力を尽くして優位を守ろうとし、劣勢なものは全力で追いつこうとする。避雷針に瞬時に雲の中の静電気が集中するように、短時間の間に激変が生ずると、その競争の熾烈さと盛衰の激しさを訴えている。
ZTEは、毎年2億個程度のチップを米国のインテルなどの企業に提供してきたが、2~3割の部品を米国のメーカーからの輸入に依存しながら、現在の国際的な優位を築いてきた。中国国内メーカーには代替品は生産できず、在庫は2カ月程度しかなかった。
そのようなときに、4月20日午前にZTEは米国の商務省から制裁を受けたことを表明し、株価は急落、米誌「フォーブス」は数週間以内にZTEは破産申請をするだろうと予測するような状況になった。
このような狙い撃ちにあった背景に5Gにおける、ZTEとファーウェイの優位があったと指摘している。
ZTEに対する米国の調査が始まったのは、2012年3月に、米国の情報特別委員会が、ZTEがイランとの交易制裁措置に違反している嫌疑があるとしてからである。その後、2016年3月に米商務省が、ZTEがイランに対する米国の輸出制限法に違反していると公表した。
5Gの移動通信技術については、世界中の国がかつてない関心を寄せている。中でも米国は3G、4Gでの劣勢を挽回するため、2016年7月米国連邦通信委員会が5Gのネットワーク周波数資源の配分を世界に先駆けて行っている。ウィルバー・ロス米商務長官は、5Gの移動通信ネットワークを建設することは、トランプ政権の重要な任務であると表明している。
ZTEは、5G領域において持続的な発展を遂げ、世界の通信電子設備市場の13パーセントを占有し、パソコンでは米国内で4番目の売上高をあげ、中国国内A株上場企業中でも研究開発投資の高い企業となり、全世界の150の国と地域に事業を展開するに至った。
他方、ZTEが対イラン制裁違反に問われていた問題については、2017年3月ZTEと米政府は和解協議結果に署名し、ZTEは8.9億ドルの罰金を支払い4人の高級幹部の解雇を承諾した。
ただし和解協議内容では、3億円の追徴金と部品の使用禁止については、暫定的な緩和の条件がつけられており、その条件の履行状況をみて追加制裁を発動することになっていた。
2017年末、ZTEが5G戦略の布石として取得した特許は2000件に上った。しかしこの肝心な時に「正確に」狙いを定めて、米国政府は銃口を向けてきたと中国側はみている。2018年3月、米商務省産業安全保障局は、35名の労働者に対するボーナスの支給額減額が暫定緩和条件に違反するとの理由で制裁を発動した。
以上が、中国側のZTE制裁発動に対する受け止め方と説明である。すなわち中国側は、米国は2012年春頃からZTEに対する制裁発動の口実を探し、5G市場奪還にとり最良の機を見て、制裁発動に出たと見ている。
さらに第2弾の措置として、2018年12月のカナダ政府によるファーウェイの孟晩舟拘束が、米国の要請によりなされたと言えよう。
中国側も表明しているように、その打撃は深刻であり、中国側は、かつてない規模の危機拡大に直面していると認識している。
ペンス副大統領の宣告通り、すでに米中貿易戦争は発動され、その焦点の一つが5G市場の支配権をめぐる、米中間の経済・科学技術面での優位の争奪戦であると言える。

日本の轍を踏むまいと対米警戒心を強める中国
中国は、日本の轍を踏むまいと、その教訓を学ぼうとしている。特に、30年前の日本の立場と現在の中国の立場は類似しているとみている。
日本は当時、米国に対する最大の自動車輸出国であった。このために米国の自動車産業では1980年代初めに6万人の失業者が生まれ、五大湖周辺地区は「ラスト・ベルト(錆び付いた地帯)」になった。
日本のチップ産業も急速に台頭し、インテルの製品価格は下落し財務状況が悪化した。1986年には世界の半導体企業の売上高上位3社は、NEC、日立、東芝の日本の3社が占めた。このような状況に対し、米国は日本を「経済的脅威」ととらえ、保護貿易主義の傾向を強め、対日貿易制裁等の手段をとるようになった。
80年代に入り日米貿易摩擦は激化し、米国は日本に対し、24回にわたり「通商法301条違反」による制裁手段をとるなど、日本製品に対する圧力を強めた。
「東芝事件」も起こり、東芝は対共産圏輸出規制委員会による禁令違反に問われ、150億ドルに上る罰金通知と5年間の対米製品輸出禁止などの懲罰が東芝に課せられた。
日本は、軍事外交面で米国に依存し、輸出先としても米国が重要であったことから、日本政府は「対米輸出の自主規制」と日本の国内市場の開放を選択した。
その結果、日本の産業の発展は停滞した。日本は東芝事件以降、米国の怒りに触れることを学んで以降、半導体の対米輸出を自主的に制限し、「米国の半導体の日本市場における占有率を20パーセント以上にする」との取り決めを行い、研究開発と投資は抑制され、日本の半導体産業は衰退の道を辿った。
チップ産業について言えば、世界の半導体企業の上位10社のうち、日本企業が1986年には6社が入っていたが、2005年には3社に、2016年には東芝1社のみとなった。
このような日米貿易摩擦の教訓から、中国は本書で以下のような結論を導いている。
「米国の問題解決の枠組みは、個人と企業を攻撃して各個に撃破し、その全般的な解決を速めるというものである。その成功体験に基づき、米国の政府と企業は中国に対して今回も、中国の半導体と通信領域での進歩を抑制するとの戦術を採用した。
米中間で現在進展していることは、未来に向けての覇権の争奪である。米国は、今回の摩擦により輸入超過を縮めることを望んでいるのではなく、中国の半導体と通信分野での競争力を萌芽のうちに摘んでしまおうとしているのである」。
このように、中国はかつての日米貿易摩擦の教訓を分析し、米国の手法とその戦略的な狙いを分析している。中国は日本と異なり、安全保障を米国に依存していないため、より強硬な対応をとる余地がある半面、経済、技術面における成熟度に乏しく、自力による研究開発力、市場開拓力に制約があり、その対抗戦略が実効性を持ちうるかは不透明である。
中国は、米国の「保守」化傾向から見て、チップを代表とする情報安全保障の支配権争奪は激化しており、その背景にはネットワークの安全保障と未来の経済の主導権をめぐる争いがあるとみている。
また競争激化の要因として、世界がグローバルなデジタル化時代に入っており、米、独など各国が製造業の振興と人工知能などの発展戦略計画を次々に表明し、経済発展と産業力の向上と言う、共通の目標を追求していることがある。
それに対抗し中国も「中国製造2025」を制定したが、強制的なものではなく、投資と技術の新たな方向性を示すものであるとしている。
また国家安全保障上の要求も重視している。ウィキリークスの事件やイランの原子炉施設がサイバー攻撃を受けた事件が示しているように、革新技術が人に制せられ、情報が他者により監視統制されるようになれば、国家安全保障の「首根っこ」を完全に他人に牛耳られることになるとの、警戒感を露わにしている。
特にトランプ政権の、今回のZTE制裁などの伝統的な保護貿易思想への転換は、経済、産業及び国家安全保障面での保護主義に基づいてなされているとみている。
製造業の競争力の中核に対する絶え間のない圧力が、今後中国が常に直面する重要問題となる、ZTEの事件も米中貿易摩擦もすべて、その先ぶれに過ぎないとみている。
今回の制裁により、2018年上半期の中国の対米投資額は前年度同期比で90パーセント下落し18億ドルに止まった。
世界の多くの経済学者や政治家は、貿易戦争の発動は一時的なものとみているが、米中貿易戦争については、本書は、先行きを予測しがたいとみている。
エスカレートしても交渉を通じて徐々に緩和に向かうとの楽観論もある。しかし、米中の経済的な実力の盛衰は経済と貿易の競争を激化させ、貿易摩擦も厳しさを加え、いずれ金融、経済、資源面等での戦いとなり、米国は貿易、金融、為替、軍事など全方面で中国の台頭を抑制しようとするであろうとの悲観的な見方もあるとしている。
本書の内容から見て、中国の本音は悲観論にあり、米国からの最先端情報通信技術と製造業に対する圧力が今後も長期にわたり続くとの、強い警戒感を表明していると言えよう。

日本、韓国、台湾の先端電子通信産業台頭の要因分析
中国は、日韓台の先端電子通信産業台頭の要因分析を行い、そこから自国の先端チップ産業競争力維持の方策を探ろうとしている。
日本は、1976年から1979年の間、「超LSI技術研究組合」を設立していた。この組合は、通産省が主導して、日立製作所、三菱電機、富士通、東芝、日本電気の5つの大会社を骨幹として、通産省の電気技術実験室、日本工業技術研究院の総合研究所、計算機総合研究所に統合し、計720億円を投資し、マイクロチップ産業の核心となる技術突破の進展を図ろうとするものであった。
歴史的に日本はかつて、各種の「研究組合」を設立し、普段は競争関係にある各企業をそれぞれの組合組織にまとめ、そこに人材を集中するとともに、普段は相互に連携できない企業間の、交流と相互啓発を促進してきた。
「超LSI技術研究組合」は4年間で1210件の特許を申請するに至り、参加企業は無償で同組合の特許を使用することを許可され、全体的な技術水準が急速に向上した。80年代末には、日本の半導体生産設備の世界市場占有率は50パーセントを超えるに至った。
その結果米国は、半導体産業の発展を阻害され、コンピューターと通信機器の国防産業面での導入すら遅れることになるとみなした。このため米国産業界と政界は、日本の「研究組合」方式を、企業を補助し不公平な競争を招くものとして激しく非難した。
日米貿易戦争が始まり半導体戦争に至り、米国は100パーセント関税を課するなどの保護貿易の手段に出て、最終的に日本は半導体の対米輸出製品の価格統制などの手段をとることになった。その結果、日本のチップ産業は徐々に衰退していった。
韓国の場合は、1983年が転換点になっている。この年に三星集団の創始者李秉哲は、チップ生産に大規模投資をするとの大胆な決定を行った。李秉哲が、天文学的な巨額の資金投入を三星破産のリスクを犯しても強行したことにより、最終的に三星は、後にチップ製造業界での群雄の一人となる基礎を築くことになった。
三星は当初、日本からの技術導入に努めたが、日本側は未来の競争相手となることを警戒し技術提供を渋るようになった。そこで三星は、半導体の自力開発のためにリスクを犯して大規模投資をすることを決定した。
三星の決定の背景には、韓国政府による、大量調達、関税による保護など、三星生き残りに対する強力な支援があった。
三星の半導体生産は増えたが、加工の中間生産品は日本のシャープに依存するなど、外国製品への依存度は高かった。三星は、視察した東芝から生産部長を、また米国帰りで台湾の台湾積体電路(セミコンダクター)製造株式会社(TSMC)の創立を準備していた張忠謀などの人材引き抜きを行った。
三星が64K DRAM製造に乗り出したころ、世界の半導体市場はすでに低迷していた。そこで三星は、原価1個1.3ドルの64K DRAMを、1個1ドルの損をしながら販売した。インテルなど米国や日本の大手メーカーが撤退する中、三星は周期の逆を行く投資拡大を続け、さらに大容量のチップの開発を行った。
1986年に三星は、半導体で3億ドルの損失を累積させ、資本は完全に枯渇し、三星グループは破綻の危機に陥った。それでも李秉哲は、「技術開発を引き続き強化するには、生産規模を拡大するしかない」との信念のもとに、価格低迷時にも生産を拡大するとの方針を維持した。
この時に韓国政府は、1983年~1987年の「半導体工業振興計画」を実施し、3.46億ドルの政府借款を投入し、三星の窮境を救った。韓国政府は「政府+財閥」と言う経済発展方式をとったのである。韓国は日本が日韓基本条約締結時に払った資金をも支援に投入している。
1992年には三星は日本電気を抜いて世界一の大容量半導体のメーカーとなった。韓国の会社は、日本の会社に価格戦争をすれば勝てることを学んだ。1998年に日本から韓国にチップ生産世界一の座は移り、現在まで続いている。
中国は、韓国の台頭から、政府による支援と少数の財閥に対する膨大な資源の集中の必要性、資本密集型の大容量半導体などの分野では、迅速に資本を投下できる者が、最終的には巨額の在不損失を克服できることなどの教訓が得られたとみている。
台湾の場合は、日本や韓国と異なり、安い労働力の優位を利用して、代理生産を行うという独特の道を辿った。
台湾は1970年代に米国のワイヤレス通信の会社から技術を買い取り、工業研究院のもとに電子研究所を設立し、新技術の消化、吸収、創新を進め、TSMCと聯華電子の二社が生まれた。電子研究所に蓄積された自主技術は両企業に無償で与えられ、2社の設立には関係部門から出資と役員の送り込みがなされた。
1985年に新竹に世界最大級の代理生産専門会社が設立された。垂直分業生産による新しいビジネスモデルが創られ、速やかな成功を収めた。
台湾について中国は、電子研究所での独自技術の蓄積とその無償提供、安い労働力を活用した垂直分業生産方式の成功に注目している。

中国の通信情報産業の台頭はいかにして達成されたのか
以下は中国が自らの発展の歴史と現状をどのように評価しているかについての、上述書の記述である。

1970年代の初め米中関係が好転するにつれて、中国は欧米との経済技術交流を復活し始めた。しかし、1973年に米国のカラーテレビの生産ラインを視察したが、生産ラインの導入はできず、日本電気からの集積回路の生産ライン一式の導入にも失敗した。
他方、台湾では1975年に工業研究院が設立され、78年には韓国で電子技術研究所が設立されている。大陸中国でも1988年に米国のベル電話会社と上海の無線通信会社が合弁企業を創り、4インチウェハ―の生産を開始した。しかし欧米の封鎖により、中国はセカンドハンドの中古の設備が買えただけだった。
1975年、中国ではDRAMの核心技術の研究開発が完成していた。北京大学物理学系半導体教育研究室の指導グループが3種類の技術計画を完成させ、中国科学院109工場は、中国製の1024ビットDRAMを製造した。これは日米に遅れること4から5年であったが、韓国よりも4から5年早かった。
チップの発展史研究の専門家の客観的評価によれば、この時期の中国のチップの科学技術の水準は世界から15年程度、工業生産の面では20年以上の遅れがあったとみられている。
1977年に『人民日報』は『電子工業の水準は現代化の指標である』と題する社説を掲げ、電子工業は四つの現代化の重要な物質的技術的基礎であると主張している。その際に、「中国の労働者人民は聡明であり、膨大な労働者と科学技術者たちは志と能力に富んでおり、帝国主義、社会帝国主義の封鎖を突破し、原爆と水爆を造り、衛星を打ち上げ地上回収に成功するという、自力貢献を達成してきたのではないのか?…彼らが自らの力で高速コンピューターを開発し製造できないはずはない」と論じている。
しかし当時中国には600以上の半導体生産工場があったが、その集積回路生産送料は日本の1社の月産数にも及ばなかった。
1980年に、江南無線電子の機器工場に東芝からカラーと白黒のテレビの集積回路の生産ライン一式の導入が決まった。江南電子の無錫の第742工場に新型半導体設備が据えられ、研究開発と生産任務が与えられた。これ以降、無錫は中国の集積回路の産業の重要基地となった。
東芝との合弁の元、無錫工場には、集積回路技術の海外からの導入が進められ、数年のうちに3000万個が生産されるようになった。国内の家電メーカーが育ち、その心臓部の部品にはこの工場の部品が使われるようになった。
しかし80年代になると、中国の半導体生産工場が小規模で分散していることが問題になった。国は直接投資を減らし、企業自ら大規模化し市場での生き残りを図ることを求めた。その結果1985年には深圳に中興半導体会社が設立された。
国務院は「工業生産における経済責任制を実現するため」、果敢に挑戦して成功への道を「探索」してみること勧奨した。1982年に国務院は、全国のコンピューターと大規模集積回路業界に対する指導を強め、万里副総理を長とする「電子計算機及び大規模集積回路指導グループ」を創設し、1981年から85年の半導体工業の技術進歩指導のための計画を策定した。
1年後に同グループは、集積回路工場を南北の基地と1カ所の拠点に集中するとの発展戦略を提出し、北の基地は北京、天津、瀋陽、南は上海、江蘇、浙江とされ、一カ所の拠点として西安が指定され、宇宙基地と一体となった。
1986年には、中国の集積回路生産量が急減したため、国家は、資金を2つか3つの基幹工場に集中し、10前後の中規模工場を支援することになった。そのため、同年から1990年までの531発展戦略が提出され、無錫の742工場を拠点とし5ミクロン技術の普及推進を進めつつ、3ミクロンの技術開発と1ミクロンの技術の問題に取り組むことになった。
しかし当時は、国際的な先進技術と中国のチップ工業の技術にはまだ相当の格差があった。その原因として、世界的なブランドを欠いていること、技術導入がハードに偏りソフトウェアへの留意が不足していること、研究開発と生産現場の連携が不十分なことなどの問題点が指摘されていた。
その原因の一つは資金の問題であった。資金に当てが無く、上海は5億元が予定されていながら、目標額を達成できず、解散を宣告された。
また742工場の2-3ミクロン技術は東芝とシーメンスから、0.9ミクロン技術は米国のルーセント・テクノロジーから導入されたものであり、531計画は実現されたものの、すべて国外からの技術導入によるものであった。
1988年に中国の集積回路生産量は1億個に達したが、米国は1966年、日本は1968年に達成していた。
742工場の成功により、同工場に四川省の24カ所から500人が選ばれ、724工場と共同で、無錫マイクロエレクトロニクス生産連合体が創設され、自主研究開発能力の向上に取り組むことになった。
1990年に同年から95年までの半導体技術を1ミクロンにすることを目標とする908プロジェクトが決定され、総投資額20億元、そのうち15億元が無錫のシリコンウェハーに投じられ、月産1.2万個を銀行の借款を得て、目指すことになった。そのほかに9つの集積回路企業に5億元を投資し、設計センターを設立することになった。
この頃、日米の半導体領域での闘争は激化し、韓国も猛追していた。中国も世界の先進的レベルとの距離を縮めねばならなかった。
プロジェクトの達成は、経費審査に2年、ルーセントからの0.9ミクロンの技術の導入に3年、その後の論証と工場建設に2年、計7年を要した。1997年に建設が終わったころには、国際水準よりも遅れ、2.4億元の損失が出た。
1998年にウェハーの生産分野は香港の上華半導体会社に2800万ドルで貸し出された。米国からの技術導入と台湾の参加により合弁会社の業績は回復し、3年で投資額は全額回収された。
以上の経過から上述書では、「計画経済の運用体制ではすでにチップ産業の発展に内在する法則にはますます適応できない。商業化が進んで以降、国際化の背景の下、908プロジェクトが困難に突き当たったことは明らかである。研究開発を国際的な先進技術の進歩に合わせなければ、産業化の度合いは低くなり、生産品の生産能力もますます拡大ができなくなる」という教訓が得られるとみている。
1995年に党と国家は、国際水準から大幅に遅れていた当時の中国のチップ産業を急速にレベルアップするため、中国史上最大規模の100億元を909項目に対し投資し、8インチのシリコンウェハーと0.5ミクロンの製造技術を持った集積回路の生産ラインを建設することを決定した。
1990年代中頃には中国は世界的なチップ生産大国になっていたが、外国企業と対等の立場で交換する能力が欠けていたため、チップの核心となる特許技術の使用料を払わねばならず、大量の電子製品を製造しても利潤は薄かった。
この状態は改まらず、そのままでは永遠に「電子部品の組立加工」に止まる危険性があった。
当時の半導体産業の更新速度は最も速く、製品の集積度は18カ月ごとに倍増し、それに応じて多くの設備も交換し向上しなければならなかった。そのための投資とその意思決定には何度も審議しなければならず、時間がかかり、半導体のような迅速に発展する高度の科学技術産業のテンポには適応できなかった。議論をしている間に、思いもしなかった変化が生じて、予想外の先進的な技術に後れをとることになった。
各部の審議時間を短縮して、審議の手続きを簡素化し、従来の製品のライフサイクルについての審議過程の手法を徹底的に改革した。同時に、909項目に対して登録されていた資本金40億元、1億ドル相当を、国務院と上海市が6対4の比率で分担して出資した。中央からの資金は特別支出金専用で、直ちに支出された。
909プロジェクトは成功あるのみであり、失敗は許されなかった。もしも909プロジェクトが再度失敗すれば、国家の半導体産業への再投資は数年間困難となることは明らかだった。
909プロジェクトでは新しい政策が模索され始めた。すなわち、市場をもって誘導するという政策である。投資総額は建国以来の集積回路に対する投資の総和を超えていたが、国家が国家開発銀行を通じて企業に注入した資本金には、独立的に運用される株式会社を支え、資金の使用は融通が利き、自主性を高めるという特徴があった。
909プロジェクトのもとで、上海の華虹国際、北京の華虹集積回路設計会社などが相次いで設立された。中でも華虹NECは1997年7月に着工し99年2月に完工、2000年には30.15億元を売り上げ、その技術は0.35~0.24ミクロンに達し、64MBと128MBのSDRAMを生産するようになり、メモリーでは国際水準に追いついた。
しかしプロジェクトが操業を始めた頃に、世界的な半導体メモリー市場の価格下落が生じた。国家が後ろ盾となり、いかにしてチップ産業の突破口を開くかという難問に取り組むことになった。
909プロジェクトの関係者は、すでに分割された固まった大市場に入り込むのか、ニッチの小市場に切り込むのか、瞬時に変化する市場の需要と価格変動にどう対応するのかという、巨大な挑戦に晒されていた。
909プロジェクトの担当者は、華虹会社の成功を同プロジェクトの成否を決定する上での尺度とした。同プロジェクトの熱心な支持者だった上海市長の徐匡迪は常に、華虹の当時の理事長張文義に「華虹なら儲かるかと否か」を訊ねた。
2005年に華虹は当初立てた目標を達成したが、その結果以下の3つの経験を学んだとされている。
一つは、真の革新技術は市場を通じて交換することは困難であり、導入は木基ではなく、自ら発展することが目的である、そのためには自主創新と自らの道を進むことを最終的に実現することが目的であること。
二つ目に、終始、市場をもって誘導すること、高度の科学技術を導入することを、国内でのその領域の空白を補填するためにまず考え、市場の誘導に従うことを無視しがちである。もしも市場の要求に合わなければ、技術水準は高くても、市場から報酬は得られず淘汰されることになること。
三つ目に、人材をしっかりと確保することが高度科学技術発展の核心であり、優秀な人材こそが創新の主力であり中核であること。
2014年の国家の集積回路産業への投資基金は、当初計画1200億元から最終的には1250億元に増加し、発起人には、国家開発銀行、中国タバコ、チャイナモバイル、中国電子科技集団など実力のある企業が名を連ねた。
「大基金」の前に、「核高基」が国家の特定支援項目としてある。2001年から2005年の「十五」計画の初期に、超大規模集積回路設計特定項目が設けられた。特定項目には、まず「国産の高性能SOCチップ」の確立、さらに「対面式ネットワークコンピューターの北京大学衆志863CPU系統のチップと調整システム」、「龍芯2号増強型プロセッサー用チップの設計」等の課題があった。
上海の高性能集積回路設計センターは「申威」CPUチップを製造し、10兆回の演算速度の国産スーパーコンピューターに搭載した。北京大学の衆志については、1999年に完全自力研究開発による中国初のCPU機構を開発した。龍芯については、北斗衛星などの国防軍地工業用として広範に利用され、民族ブランドのチップとして知られるようになった。
このような基礎に基づき、2006年に「核高基」という重大な特定項目が正式に開始された。これは「核心となる電子機器であり、ハイエンドの広く用いられるチップとソフトウェア製品」の簡潔な呼称である。国務院は2006年から2020年の『国家中長期科学技術発展規則要綱』において、「核高基」を宇宙開発や月探査と並び、16の科学技術重大特定項目のトップに挙げた。
2020年までに中央から328億元が財政支出され、地方その他の配当資金から1000億元を超える資金が投入されることになっている。
「核高基」の特徴は「企業主導でけん引する」ことにある。高度市場化の条件の下で「挙国体制」の優位を発揮するという難題が、「核高基」に持ち上がった。
2017年に過去10年の特定項目の実施結果を見て、集積回路製造の鍵となる装備の実現がまだ達成されていないことが批判され、30以上の先端装備と100種類以上の材料の研究開発を成功させ、内外の市場に進出して、産業の隙間を補填することが求められた。
精華大学の魏少軍教授は、「我々の核心となる電子製品の鍵となる技術において各方面で重大な突破がなされ、技術水準も全面的に上がり、外国との差が15年から5年に縮まったことは、中国の核心的な電子機器に使う重大な製品を海外からの輸入に長く依存し、「首根っこをつかまえられる」と言う問題を緩和することになる」と述べている。

中国のチップ産業育成政策と米中貿易戦争への対応
中国にとり最先端の通信情報産業の育成は何よりも国防上の要求に基づいている。例えば、スーパーコンピューターについて、「国防の安全保障、両対力学上の計算、核兵器の研究などの領域に決定的な影響を与えるものであり、しばしば国家の科学技術力のシンボルの一つとみなされる。演算速度が向上すれば、スーパーコンピューターの応用の効果はさらに拡大し、すでに現在の世界の大国間の争奪の戦略的制高点の一つになっている」と述べている。
枢要な情報基盤設備の自主的で安全な創新に備わるべき要因として、以下の「核心的な3要素」を挙げている。①CPUの研究・製造部門が安全保障上の秘密保持の要求に合っているか?②CPUのコマンド・システムが持続的な自主的発展を可能にするか?③CPUのソースコードを自ら編纂できるか?
 龍芯会社の胡偉武総裁は「我々がいかにして自主的なプロセッサーの研究開発を進めるか?」について、海外からの技術導入と外資導入は経済発展にとり重要だが、自主開発による科学技術の学習の枢要な意義に、すべてとって代われるものではないとの言葉を引用するなど、自主的な研究開発・製造・投資の必要性を強調している。
また絶えざる投資と技術革新の必要も強調している。華為の創設者の任正非は、「創新なしには、高度科学技術の業界の中で生き残ることはほとんど不可能だ。この領域では、息をついている暇はない。少しでも後れをとれば、そのことはやがて死に至ることを意味している」と述べている。
2016年には華為は15カ国に研究開発センターを設立し、華為がグローバルな技術的資源を利用できることを助け、同時にこの研究所を通じて、世界中からトップクラスの人材を急襲している。2017年の報告によれば、その年の売上高は6036億元、研究開発投資額は897億元であり、研究開発費には14.9パーセントが投じられている。
しかし華為は創新のための創新には反対である。任正非は「技術を使用に投入するかどうか、いつ使用するかを決めるには、顧客の声を聴かねばならない。半歩先を切れば先頭に立てるが、三歩先んずれば革命烈士になれる」と述べている。
またリスクをとることの重要性も指摘している。「小さな馬が大きな車を引く」ことは、車馬ともに覆りパソコン市場から退場させられるリスクを犯すことになるが、華為はそのような冒険を犯して巨大な報酬を得た。
華為には自ら製造できるチップがあったため、研究開発と製造のコストはさらに下がり、価格交渉でも強い立場に立て、資金供給力も上がった。
華為発展の秘訣は、華為の海思チップは自主創新の部分が相当高度だったことと、「導入、吸収、消化、創新」というモデルも国際的な技術進歩の主流に適合していたことにあったことを明らかにしている。
華為の姿は、「まず一銃を撃ち、次いで一砲を撃ち、然る後に膨大な弾量の砲弾を集中的に撃ち込む」と言うべきであろう。まず科学的な研究開発は「一銃を撃つ」ことに当たり、将来の不確定な技術の進展に対し探りを入れ、探ってみて失敗が無ければ、次に「一砲を撃ち込む」道を求めて、小さな範囲での研究討論を行う。それで、もしも「城攻めの突破口」が見つかれば、そこに「膨大な弾量の砲弾」を集中的に撃ち込む必要がある。
このように、華為の成功例に基づき、研究開発から実用化への突破口についての審議、突破口への資源の集中投入という手法を奨励している。
また中国には、対共産圏輸出統制委員会の規制という問題もあった。そのため、例えば1980年代末から90年代には、米英日などからの技術移転や製品輸出は止められていた。当時、「中国企業は極めて高価な数少ない末端の製品を導入し、透明な仕事場を据え付け、仕事場の鍵は米国からのプロジェクト管理者の統制の下に置かれることを余儀なくされた。このように、他人の監視統制の下で高性能のコンピューターを使わざるを得なかった」としている。
この対中輸出規制も中国に国産化を急がせた要因になっている。
中国は1990年には毎秒の計算速度1000万回のコンピューターしかなく、米国から大きく遅れていた。1992年に研究開発組織が創られ、200万元投入し、「曙光1号」の自力開発・製造方針を決定した。
そのためにまず日本に行き、当時の「第五世代コンピューター」を学習しようとしたが、調査研究の結果、その方針はとらないことになった。「第五世代機がその後とん挫したことから見て、その判断は正しかったと評価している。
中国の当時の困難は、一つの部品やちょっとしたソフトウェアの不備から、研究開発全般が半月から数カ月も遅れることにあった。
研究開発組織は、6名の科学技術者から成る小分隊を創り、米国のシリコンバレーに送った。留学生の宿泊する部屋は機械設備でいっぱいになり、応接室がそのまま作業室となり、寝室にはベッドもなく床で寝起きさせ、研究開発に没頭させて、高速演算可能な高性能コンピューターの開発を急がせた。1年後には「曙光1号」は同類の数年前に導入した外国製の5倍の性能を達成した。
このように、懸命の自主開発努力が続けられた。
巨額投資の趨勢は近年ますます顕著になっている。2018年紫光国芯集団は紫光国微集団に社名を変更したが、18.7億元と9.07億元を投じて展訊通信と鋭迪科微電子を買収し3大パソコンチップ企業の一つになった。また25億元を投じて新華の3グループを買収し、世界第二位のネットワーク製品とサービスの会社となった。
「自主創新+グローバルな協力」が紫光集団が世界的なチップ企業に急成長した駆動力であるとしている。
またAIチップを開発している陳雲霽、陳天石兄弟が外国から「神童」と呼ばれる天才であり、彼らのような人材を見つけ出し活用することの意義も強調している。兄の陳雲霽は14歳で大学に入学し、29歳で博士課程の指導教官になり、中国科学技術大学の少年班卒業後は外国人から「神童」とみられていた。弟の陳天石も同様の天才であり、二人は2016年に武紀科技を設立し、AI用チップの核心技術の研究開発に取り組んでいる。会社の市場価値は2018年には10億ドルに達している。
外国人には天才に見えるが、陳雲霽自身は科学技術大学の少年班でも成績は良くなかったし、天才ではないと言っている。兄弟二人で同じようなことを共に学びあい、夢の実現を追求できたことが幸運だったと述べている。
米中貿易戦争に対していかに対応すべきかについて、これまで通信情報産業に貢献してきた有識者の見解を以下のようにまとめている。
今直面している問題点として、①中国と峡谷との間には数世代の格差がまだあり、他国から提供すると言われても、企業は自から研究開発、製造、設備更新をしないわけにいかないこと、②奨励と激励の制度に対し、科学技術者に関心が薄いこと、③AIの細密化、大容量化に対応する基礎理論の問題に対する力が不足していること。
人材の獲得という点について、当初は改革開放により米国の中国系学者などの下に派遣されていた若い中国人留学生を呼び戻し、研究組織の指導者にしたことが挙げられている。その代表者として、コンピューター用チップの研究開発のため「曙光」会社を設立し経営者となった李国杰が挙げられている。李国杰等は帰国後も米国の研究者と交流を維持して最新技術を導入し、彼らが初期の研究開発の中心となった。
李国木杰は以下の点を強調している。
「国家が責任を負い、果敢にリスクをとるという創新精神を継承することが重要である。
863プロジェクトは高度科学技術自主開発の旗印となり、国産高性能コンピューター「曙光1号」の開発に200万元を投入することを決定し、その開発につながった」。
また「最先端技術の研究開発に従事する者は、小さな成功に甘んじてはならない。
特に情報産業分野ではコンピューター産業の規模はますます拡大し、従事する人員も増加している。技術的な細かな改良を習慣とし、広大な市場を判断し未来を洞察する力が欠けていてはならない。
科学技術の評価制度ではややもすると数字化による評価が強調され、「木を見て森を見ない」科学技術者を生むことになりがちだ」と警告を発している。
中国のチップとそのコントロール・システムの草分けとなり、中国工程院院士の倪光南は、中国のチップ産業が越えねばならない二つの大山を挙げている。「一つは、チップの製造面で資金が極めて不足していることである。現在は、10年間継続して資金投入をして10年後からようやく利益が得られるという状況になっていることから、中国のチップ製造業が良くなることはなく、レベルは低いこと」が挙げられている。
もう一つはソフト面での大山で、「チップとその制御システムの基礎を構成しているのは、大量のソフトウェア・システムだが、大量のアプリケーション・ソフトが必要になる。典型的な例は、アップルのIOSシステムとグーグルのアンドロイドである。
このようなネットワーク環境面の問題点は、一度形成されると変えるのが極めて困難になるという点にある。強いものはますます強くなり、独占的な地位が固められる。仮にチップが使用されるようになっても、ネットワーク環境のシステムが伴わなければ、長期的な発展は望めない」と述べ、独自のネットワーク環境、特に独自のOSの開発の必要性を訴えている。
龍芯中国科技株式会社創設者の胡偉武も、情報産業は自らのネットワーク環境を創り出さねばならず、そのためには自らがコントロールできるシステムの創造を開始する必要があると強調している。
胡偉武は、龍芯が過去10年間に歩んできた次の3本の道を挙げている。
①市場化の道はアカデミズム派を創る道としてはならない。龍芯は企業主体の方針を堅持し、アカデミズム派を別に創らず、百名の基幹技術者は内部の辞職者から募った。
②自主研究開発は技術導入により取って替われない。龍芯は革新技術は自らの掌中に収め、導入に頼らないとの方針を堅持してきた。困難なことは長期にわたり堅持することである。特に複雑なシステムでは産業化への実践において絶えず発展し変化しなければならなかった。
③ネットワーク環境の整備は製品を創ることにより取って替われない。龍芯は常に、自主的なソフトウェアによるネットワーク環境を創るとの方針を堅持してきた。
また胡は中国の龍芯は3つの問題に直面していると指摘している。
①中国には汎用CPUを研究開発し製造する必要があるのか?これまでは高性能プロセッサーの開発に力を入れてこなかった。これからはやらねばならない。
②中国には汎用CPUを研究開発する能力があるのか?高性能プロセッサーは最も枢要なものであり、かつ設計の困難なチップである。2005年に米国は報告の中で、「中国はすでに世界一流のプロセッサーを設計することができる。龍芯2号の設計は、中国が正に世界の他のプロセッサーの能力よりも優れた者を生産する準備ができていることを語っている」と評価している。
③龍芯は売れるのか?龍芯の会社の業績はますます上がっており、2年連続で50パーセント以上増加した。2015年の売上高は1億元を超えた。龍芯のCPUは計画経済内の体制内企業から私企業など体制外の企業にますます多く買われるようになっている。
このように龍芯が直面している問題はいずれも克服可能と、強気の見通しを胡偉武は示している。
中国コンピューター学会は、ZTF事件の本質について、中国のチップと基礎的なソフトウェアと産業のネットワーク環境の仕組みが、採るべき措置について討論し、以下の提案を行っている。
①グローバルな環境下での、中国の集積回路とソフトウェア産業に対する構想を明確にする必要がある。グローバル化時代では、我々は国際市場のルールを旬主旨、積極的にルールの制定に参加する必要がある。国際競争の家庭において、発言権と制度を覆す能力を得るために参加することは、グローバル化時代において、サプライチェーンの安全を保護するための根本的な解決策である。
②政府と企業はともに、サプライチェーンの安全意識を確立しなければならない。ZTEの事件は、孤立した事件ではなく、その他の業界と分野にも類似した危機があることを示している。このような状況に至る前に、我々は速やかにサプライチェーンの安全保障管理の仕組みを打ち建てねばならない。企業には自らのサプライチェーンにある弱点を検査する専門部門を創らねばならない。単一の供給源に依存している物については、速やかに自主的な研究開発をさせねばならない。同時に政府は、システム全般構想の設計を行い、産業のサプライチェーンの安全についての整合されたリストを創り、弱点に対しては資金を投入し、合理的指導を行わねばならない。その際に企業の自力更生と主体性を発揮させねばならない。
③中国は後発の新興国家である。その優勢を高めるためには工夫する必要がある。後発国家として先発国家の技術の独占を打破しなければならないが、それは極めて困難である。チップと基本的なソフトウェアの分野では、インテルなどの米国本土の企業が揺るがしがたい独占的地位を築いている。中国は自らの優位性を十分に発揮し、新興産業と垂直領域において、チップとプラットホームの技術でのブレークスルーを成し遂げねばならない。例えば、AIのチップなどの新領域では、まだ独占的地位の大企業が形成されていない時に、国外企業が同じ路線上で展開している競争で打ち勝つ必要がある。寒武紀などのAIチップ企業はその例である。我が国自身がすでに備えている垂直的な領域における優勢、すなわちわが国自身の産業の規模と市場規模の優勢を十分に利用して、弱点を補完しなければならない。アリババ、シャオミはその例である。新興領域と優勢な領域とで国際的な大企業の技術独占を打破できれば、制度を覆す能力ができ、グローバル環境下で中国の高度技術産業のサプライチェーンの安全を保つための重要な解決策が得られるであろう。政府はこのような発展の趨勢を激励し、指導し支持するべきである。
以上の認識に基づき、問題を根本的に解決するための、健全な事業環境の構築を、以下のように訴えている。
①国家は、正確な政策による誘導と合理的な全般システムの設計をしなければならない。かつてはチップとソフトウェアの領域では、長期の全般的な戦略的計画が欠け、産業政策も短期的な行動に注意が向けられていた。功を求めるのに急で目先の利益を追うという、業界の浮薄な風潮の表れでもあった。創新科学技術項目についても、協調と統制管理の仕組みが欠け、指導権が分散し監督が重複していた。知識産業の保護が重視されず、基礎研究と革新技術の研究開発の基礎に注意が向けられないようでは、未来主義とは名ばかりで、実際上は科学者と企業家の創新への熱情を抑制することになる。この問題の解決には、持続的で穏当な長期的視野に立った産業発展政策が求められている。
②基礎研究と人材の育成のための良好な土壌を創らねばならない。中国のチップと基本的なソフトウェアの分野に投入された資金は遅くかつ少なかった。理想的な効果を上げるのには程遠く、基礎研究と人材育成にとってははなはだ不足していた。それらは外国の拠点に主に依存し、技術と人材の流出は避けられなかった。学術上の評価基準についても一律ではない評価標準と体系を創らねばならない。もしも人材に対して公正な評価を与えられなければ、優秀な人材を引き留めておくことができないで、競争力のある集団を創ることも、創新も、核心技術もできない。発言権も産業の安全保障も意味がない。
③工業界と学術界は緊密に連携しなければならない。チップと基本的なソフトウェアの科学技術における自らのルールを創新し、その中の重要なルールとして、創新の成果に釣り合う工業の基礎の拠点を創ることが必要である。鉱業の基礎の拠点が無ければ、創新の成果も市場での競争力にはならない。いつまでも単発の技術突破を望み、産業の関連全般にわたる各分野の要点における技術進歩の調和を軽視すれば、創新の土壌は失われてしまい、健全な業界の事業環境について論じても意味がなくなる。工業界と学会が緊密な連携と、政策の誘導、人材の評価、資金の投入などの面でも、チップと基本的なソフトウェアの業界の科学技術創新における独自のルール作りを、強力に提唱していかねばならない。
④共同体全体としての財源開発活動をさらに重視しなければならない。OSなどの基礎的なソフトウェアのプラットホームの分野では、ソフトウェアの収入増と共同体全体の財源開発が重要なテーマである。中国の業界の習慣では、業界全体としての財源開発に対する認識度は低い。企業は業界の財源開発を求めず、自社の核心技術が競争相手に利用されることだけを心配する。他方では、開発されたソフトウェアを使用する際には承認を得ようとせず、他社により自社の核心技術を話そうとしない。これらの態度はともに誤りであり、業界の財源の開発は産業の事業環境にとり重要な構成分野であり、財源開発とソフトウェア製品の開発への貢献は、創新活動の一部である。専門家は、企業に財源開発を呼び掛け、科学技術項目の財源開発を推進し、財源開発の地位を向上させ、企業と学会は、業界の財源開発を主導することを通じて、グローバルな創新の資源開発を自らの仕事としなければならない。
以上の認識に基づいて、中国コンピューター学会は、同学会公共政策委員会の名前で、以下の4つの提案を行っている。
①チップとプラットホームの中長期の発展計画を制定し、総合的、戦略的かつ先見性のある業界の発展戦略を制定すること。計画の制定は、科学に従いこの二つの核心技術を進めるものであり、産業の事業環境の安全が保障され「首根っこをつかまれる」状態を打破すること、これが計画実施の最も基本的な目標となること。
②科学、技術、産業と人材育成にとり健全な全般環境を創るが、その中でも人材の育成とそのような組織化された集団を創ることを最重視すること。学会と工業界の連携を推進すること。投資項目は、多数の管理権が重複することを避け、各項目の責任者を明確にし、責任を負う制度を実施すること。
③サプライチェーンの安全保障について議事日程に載せ、政府は産業全般の角度からサブライチェーンの安全保障について対策を考え、企業が自らのサプライチェーンの安全性についての評価制度を打ち建てるのを指導すること。
④科学的な管理革命の「目に見える手」を使い、政府の調達や減税を利用して、ハイテク産業に対し実のある支援しなければならない。それと同時に、「見える手」を用いて、垂直的分野の優勢な業種と劣勢な業種の調和をとり、優勢な業種を通じて劣勢な技術の発展を推進し、弱点を補完すること。

以上が中国全国コンピューター組合の提言である。
最後に、全般を通して、自主技術開発の不可欠なことを再度強調している。「貿易摩擦、ZTE事件、華為に対する封止など、2018年は歴史的な進展の中でも特別な意義を持つ転換点だったとして、その本質について3カ月間、(上に述べた)様々の識者の見解を聞き検討した。
その結果言えることは、この米中貿易戦争の本質は、技術と市場をめぐる競争にあり、米国は矛であり、攻める側であり、中国は盾であり、守る側であることにある。ただし、最終的な技術は市場に提供されて初めて高額の利潤を獲得でき、継続的な技術の発展が可能になる。市場から去れば、技術は必ずや衰退する。市場は、技術を養い、技術を発展させ、技術を転換させ、技術を創造する。
もしも技術を他者に一端依存すれば、必ずや「供給を絶たれる」と言う痛みを被り、「首根っこをつかまれる」苦境に陥ることになる。「チップ(芯)がなく精神力が足らなければ」、一撃に耐えられない。経済のグローバル化の下では、核心技術は「孫悟空の如意棒」のようなものであり、「手を伸ばせばすぐに取れる」ものではない」。

まとめ:中国の対応姿勢と日本にとっての教訓
以上の中国側文献に基づく、中国のチップ産業に関する分析によれば、中国はZTE事件に象徴される米中貿易戦争の背景には、将来の軍事力、経済力、科学技術力など、総合国力の核心となる通信情報分野における、米中間の覇権争いがその本質にあるとみて、深刻な脅威感、対米警戒感を抱いていることは間違いない。
またすでに制裁措置により深刻な打撃を受けており、今後さらに長期化し拡大するものとみており、その対策を国を挙げて検討し、これから取り組もうとしている。
その際の最大の教訓とすべき歴史は、30年前の日米貿易摩擦であり、日本の轍を踏んではならないとみている。特に半導体の自主開発に徹することなく、米側の要求を呑んで、対米輸出の自主規制に踏み切り、今日の衰退を招いた。その背景には、日本の安全保障面での対米依存があったとみている。
中国は、米国に安全保障を依存してはいない。むしろ対米貿易戦争は最終的には軍事的覇権をめぐる戦いに至るおそれもあり、中国の対米警戒心は今後も強まるとみられる。
米国も、ペンス演説でも表明されているように、中国は、米国の価値観や体制に挑戦し、米国から最先端技術を盗み、安い労働力を使って加工して米国に輸出し、対米貿易黒字から得た利益を軍事力拡大に転用し、安全保障面でも最大の脅威になっているととらえている。
中国は、この苦境を打破するための方策として、①政府による長期構想とイノベーションの重点の指示、基礎研究基盤の育成、②人材の育成・抜擢と人材集団の組織化、③当初の技術導入とその吸収・消化、なるべく早期の創新、自主研究開発・製造への転換、④リスクをとる果敢な経営・研究開発姿勢の維持と長期継続的な集中大規模投資、⑤軍民学を挙げた重点項目に対する自主研究開発努力の継続と相互協力、⑥政府による、全般長期戦略計画に基づく継続的指導、特に業界全般の財源開発とリスクマネーの提供、企業の弱点補償、⑦政府によるサプライチェーンの安全保障と調達・税制面での企業支援、科学技術者への奨励策の実施、⑧企業の自力更生と主体性の発揮、⑨産業界と学会の連携などの要因があげられている。
毛沢東は、「我々はパンツをはかなくても原爆を開発する」と唱え、中国は自力で原爆や水爆、弾道ミサイル(「両弾一星」)を開発した。本書『中国チップ産業の分析』でも、原爆や水爆の自力開発の歴史を引用し、今の苦境も自力開発努力により乗り切れると鼓舞している。
有識者や中国コンピューター学会の挙げている対策は、いずれも現況を踏まえた合理的なものではあるが、それを実行できるかどうかは、不透明である。
その成否は、人材の育成とその結集、科学技術と産業の基盤、資金力、政府の指導力と支援体制、軍官民の協力態勢、企業の自主経営努力など、種々の要因により左右されるとみられる。
しかし、その根本は、次代の国力の盛衰を決める核心技術分野で他国、特に米国には決して制せられてはならない、何としても自力開発・製造を成し遂げるとの気概にある。
かつて日本にも同様の気概があふれていた時代があった。中国が採ろうとしている政策の多くは、かつて日本も実践していた政策である。
中国は、自力更生の気概をもって、核心技術のイノベーションを成し遂げ、対米覇権競争に臨もうとしている。
しかしいまの日本は、すでにそのような気概を失ってしまい、自力更生の意思すら失っているのかもしれない。そうとすれば、新たな令和の時代になっても、日本の衰退は避けられず、米中との格差はさらに開くことになるであろう。
日本にはかつての実績もあり、いまも基礎的な科学技術力や産業基盤は残っている。再生の潜在力は十分にある。通信情報産業においても、その他の分野においても、他者依存の精神から脱却し、自力自主、独立自存の気概を回復すれば、復興の道は拓けるに違いない。


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